テニスにて

テニスコーチの視点からの解説

支え合う普通の人々

先日、ドラマ「探偵の探偵」観ようと思って8チャンつけたら、バレーボールで時間が押してて、まだ「とんねるずのみなさんのおかげでした」やってたんです。流れでそのまま観てたら、後半にタカさんが芸能人の相談コーナーみたいなのがあって、矢口真里さんが相談者として出演してたんです。

その相談内容は「何を言っても何をやってもみんなにバッシングされる。どうしたらいいでしょうか?」っていうものでした。

たまたま今、僕は「嫌われる勇気」っていう本を読んでるのもあるせいか、この相談のやり取りに観入ってしまいました。

矢口さんが過去に何をしたかは、ネットのニュースとかの範囲でもちろん知ってます。当時は大騒ぎでしたからね。その出来事に対してあれこれ言いたいわけではありません。

…人はなぜ「みんな」に好かれたいのか…

矢口さんの言動を聞いていて、とにかく誰にも嫌われたくないという願いの強さを感じました。若い頃は僕もそうでしたし、今でも自分でその名残を感じることがあります。しかし、多かれ少なかれインパクトのある離婚劇を演じた矢口さんが、未だに「みんな」の同意を得たがっている、「みんな」から好かれたい気持ちに溢れている、そういう気持ちの強さに、なんて言うか、なんでだろうって。なんで周囲に変わってもらおうとするのだろうって思ったんです。そこに労力や時間を使うのは、バカバカしいし、もったいない。

芸能というお仕事がしたいから、戻ってきたのでしょ。なら、視聴者をどうやって楽しませようかって考えることに時間と労力を費やした方が、数倍も有意義なのに。
誰かの役に立とうって気持ちの前に「みんなに好かれたい」って気持ちが先に立つ。

でもね、本当にみんなに好かれてる人は、みんなに好かれたいって思ってないんですよね。とにかく誰かの役に立とうっていう気持ちが強いし、その誰かが幸せになれば自分の評価なんてどうでもいいぐらいに思ってるんですよね。
他人からの承認欲求がないんです。

人によって、どうしてこういう違いが出てくるのか不思議です。あるいは、自分の中でも歳を取るにつれて承認欲求が薄れて、人の役に立ちたいって気持ちが濃くなっていくという時の流れによる変化が不思議です。

今のところ思うのは、多分、過ごしている世界の広さなんじゃないかなって思います。矢口さんの場合、あの出来事が起こる前は、矢口さんはテレビでの評価はとても高いものでした。これは言い換えると、矢口さんの世界は「自分を褒めてくれる人ばかりの小さな世界」とも言えます。その小さな世界の中では、自分はとても特別な存在。
芸能人じゃなくても、親のもとでは結構みな「家庭という小さな世界の特別な存在」です。

しかし、成長して社会に出て、あるいは矢口さんのようにスキャンダルで敵が表面化して、もっと広い世界に出ると、自分を特別扱いしてくれる人は少なくなります。でも本人は、普通の人になっていることに気がついていない。そうなると、いかに自分を「普通」であると認められるかどうかが鍵になります。

さらに言うと、普通の人たちは、普通の人たち同士で支え合って暮らしています。誰かを支えることによって、自分が自然と誰かから支えられる。誰かに貢献することによって、自分の居場所を得る。

このテレビを観てて、自分も本当の意味で広い世界に身を置けてるのか、誰かの役に立つことをしているのか、そんなことを考えてみた次第でありました。

ではは(^^)