テニスにて

テニスコーチの視点からの解説

母の日〜感謝される側は支持されない?

5月10日は母の日でしたね。

前回のこどもの日の解説の中で、こどもの日の祝日法に関する一文に「母に感謝する」というものがあり、もしかしたら、それがこの母の日につながってるのかと仮説を立ててみましたが、どうやら関係なさそうです。

日本の母の日はアメリカのMother's dayにならって「5月の第2日曜日」となっているので、起源はアメリカと言えますが、その前に日本でも母の日を作ろうとした運動があったようです。

母の日の由来とは?カーネーションを贈る理由&色の意味は? | トレンドレビュー館

  • 1913年ころ、キリスト教会・日曜学校などで「母の日」がスタートしました

  • 1915年になると、青山学院教授のアレキサンダー女史が宣伝しました。
  • そして、キリスト教関係団体を筆頭に、しだいに教会でのお祝い行事とし開催されて行きます

  • 1931年(昭和6年)には、大日本連合婦人会の結成がキッカケとなり、皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日が「母の日」と決まりました。
  • ※この時点では、現在の母の日と日付が違っていました!

1937年(昭和12年)に、お菓子メーカーの“森永製菓”などが、「母の日」をアピールする行動を開始します。

アメリカでは1914年に「母の日は5月の第2日曜日」と制定していますので、その前後に日本のキリスト教会を中心に宣伝されてますよね。当時はまだ日本で男女平等など受け入れられなかったでしょうから、日本人の誰かが母の日を始めようとするとは考えにくいと思っていました。やはり、最初はアメリカでしたね。


そして大日本連合婦人会をキッカケに日本でも母の日を決めましたが、それは結局浸透しませんでした。この大日本連合婦人会というものは小学校区を基盤とした文部省下の地域婦人会の全国組織なので、こどもたちにお母さんへの感謝の気持ちを持ってほしいという大人からの想いから制定されました。この「大人からの」というところが浸透しなかった理由かと思います。これに関してはあとでまた述べていきます。

その後、森永製菓がお菓子を売るための戦略として母の日をプッシュしていきます。お菓子業界というのはバレンタインやハロウィンやイースターなど、アメリカの動向には敏感ですよね。当時の森永がアメリカの動向を追っていたかどうかは定かではありませんが、日清戦争から太平洋戦争まで、女性や子供がツラい思いを強いられる戦争の時期でさえ、お菓子を売るためには女性や子供に対して喜ばれることをしないといけなかった。だから(倣ったのか自ら思いついたかは定かではありませんが)アメリカ的な考え方を自然と取り入れていった。

そう考えるとですね、男女平等というものを実現するのは(実現したのは?)平等を勝ち取る戦いを怖い顔して叫ぶより、お菓子を通じた気持ちの伝達の方が効果的なんじゃないかな。

そんなことを、ふと考えました。


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さて、では元々のアメリカでの母の日の起源というのはどんなもんだったのでしょうか。

Wikipediaに面白いエピソードが載っていました。

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母の日 - Wikipedia


アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。
ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる[1]
アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービス友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。

まず、シャービスの活動で注目したいのは、敵味方問わず負傷兵の衛生改善につとめたという部分です。ハウの自分の子供や夫を戦場に送るのを拒否するという活動がいけないわけではないのですが、全国的に浸透するには、敵味方問わずという無償の愛というか分け隔てない思想が原点になる必要があるんだろうなって思いましたね。


そして、シャービスの死後、娘のアンナが記念会を開催した、つまり子供からの想いが原点にあるわけです。

前述した大日本連合婦人会が決めた母の日は感謝される側が決めた日、アメリカの母の日は感謝する側が決めた日。どちらが浸透しやすいかっていったら、やはりアメリカの方かなって思います。

そして日本でも戦後昭和24年頃にアメリカに倣って5月の第2日曜日を母の日とするようになったと言われています。

される側よりする側の人が支持されるってことなんじゃないかなぁ。


ではは(^^)/